My Backbone 本と映画と音楽と 〜「小清水 志織」こと Yくんのリクエストに応えて〜 


  『福祉の思想』(糸賀一雄 著。1968<昭和43>年 初版。NHKブックス 刊)


※このホームページの「脚下照顧」のコーナーから

(略)電車では『障害福祉の父 糸賀一雄の思想と生涯』を、半分読み終えた。「この子らに世の光を ではなく、
この子らを世の光に」の福祉観は、ずっと私の教育観の通奏低音。2018.12.10

(略)ところで、NHKラジオのアナウンサーが今年開催予定の東京パラリンピックについての報道で、いつも通り
(何かマニュアルがあるとか?)「障害のある人」という呼び方をしていたが、「あの人はどんな呼び方をしてたかなぁ」
と思って、本棚にある『福祉の思想』(糸賀一雄 著、NHKブックス 刊。あ、NHKだ)のページを繰(く)ってみた。
すると…。「人類はいつまでたっても、どこにでも、このような障害をもった子どもをうむ可能性を秘めている。(中略)
うまれた生命は、どこまでも自己を主張し自己を実現しようとする。その生命の叫びを圧殺することは罪悪である。」
とあった(「はじめに」のP.16から引用)。「障害がある」という言い方は、「この計画には予算オーバーという障害がある」
とか「この道路には凍結の障害がある」のように、人間には使わないのでは? だから、「その計画イコール障害」とか
「その道路イコール障害」のように、「その人イコール障害」と受け止められやすい問題があるのでは? 「発達課題としての
(ざっくり言えばその人の個性や属性の一つとしての)障害」という意味では、生きている誰もが「チャレンジャー」として、
各人の「障害イコール成長するための課題(それを補う力や感性を育てるという意味もある)」を持っているんだし、チャレンジ
することそのものが糸賀一雄さんの言う「自己実現(の試みとしての生)」なのでは? 2021.1.2

☆補足のための引用

 このひとたち(障害をもったひとたち)が、じつは私たちと少しもかわらない存在であって、その生命の尊厳と自由な
自己実現を願っており、うまれてきた生き甲斐を求めていることを友愛的に共感して、それが本当に社会の常識と
なることへの道行が「福祉」の内容となるのである。
 福祉の実現は、その根底に、福祉の思想をもっている。実現の過程でその思想は常に吟味される。どうしてこのような
考え方ではいけないのかという点を反省させる。福祉の思想は行動的な実践のなかで、常に吟味され、育つのである。

 この子らはどんなに重い障害をもっていても、だれととりかえることもできない個性的な自己実現をしているものなので
ある。人間とうまれて、その人なりの人間となっていくのである。その自己実現こそが創造であり、生産である。私たちの
ねがいは、重症な障害をもったこの子たちも、立派な生産者であることを認めあえる社会をつくろうということである。
「この子らに世の光を」あててやろうというあわれみの政策を求めているのではなく、この子らが自ら輝く素材そのもの
であるから、いよいよみがきをかけて輝かそうというのである。「この子らを世の光に」である。この子らが、うまれながら
にしてもっている人格発達の権利を徹底的に保障せねばならぬということなのである。



※3年倫理の授業振り返り論述ウルトラ80名作・力作集から

「チャレンジャー」 ※( )内は授業担当者  

君子になるために頑張ることは、とても大切なことだと分かった。また、障害者の人達のことを(英語で)「チャレンジャー・
パーソン」と呼ぶことに、すごく驚いたが、納得した。

授業担当者のコメント:上のコメントと同じです。一緒にこの考え方を、もっと広めていきましょう! 「障害を持つ人も持た
           ない人も、今を生きる『チャレンジャー・パーソン』。その障害(ハンディキャップ)やそこから生ま
           れる壁(バリヤー)は、挑戦することで自分自身を成長させることのできる『人生課題』としての負荷」。
           「障害を持っている人に世の中が光を当てるのではなく、障害を持っている人が世の中の光として輝く
           ことができるようにしよう」(日本の「障害福祉の父」糸賀一雄の言葉より)。